男とはシャイで純粋なもの

2011.09.01

作家のN氏から、こんな体験談をうかがったことがあります。某月某日の夜、N氏宅では結婚二十周年のささやかなパーティーが予定されていました。子供たちに念を押され、N氏は早めに家に帰る約束をして外出したのですが……。日が暮れるにつれ、彼の心は重くなる一方、家族の待つ楽しいわが家の光景が浮かべば浮かぶほど、足は家と反対の方向へ向かい、行きつけの酒場をハシゴして、いつしか酪酎。帰宅したのは朝も白々と明けるころだったとか。何の連絡もなく待たされたご家族の落胆ぶりが、私には人ごとと思えませんでした。「いやあ、別に悪意はなかったんですが、みんなの喜ぶ顔が待っている、そう思うと、なぜか帰れなくなって……。四十八歳の抵抗かもしれませんな」こう言って笑うN氏、まったく男とは得体の知れぬ存在です。「男の照れ」に裏打ちされた偽悪的衝動、とでも名づけたらいいでしょうか。こうした性癖には、今後あなたは何度も首をかしげることになるでしょう。すばらしい仕事をなしとげても、喜びを素直に表現せず、かえってムツとした表情。「よかったわね」と労をねぎらおうものなら、「どうってことないさ」と平静を装う。先日も、こんなことを言った若者がいました。「『愛しているよ』とか『そのドレスよく似合うね』なんて浮わついた言葉、とても言えませんね。そう言ってやれば彼女は喜ぶだろうし、こちらも気がスッとするでしょうが、そう思えば思うほど、『フン、なんだ、その格好は』と悪態をついちゃって……」先ほど私は「男の照れ」と言いました。しかし、やっかいなことにこの感情、他人の眼を意識した照れ、あるいは恥ずかしさではなさそうです。意識の対象は自分自身の内側に向けられているところに、彼らの、ことに日本男子のかたくななまでの「意地」があるように思えてなりません。そして、そのよってきたる源には「男のメンツ」があると推察します。「……しては男がすたる」「男の顔がたたぬ」、どんな男にも、男とはかくあるべし、といったうよ「男らしさのイメージ」があるのです。お隣りでピアノを買ったからうちでも、といった女特有の物質的「体面」とは異質な、おのれの存在にかかわる美意識、と言ったらいいでしょうか。それにひきかえ、女性をたて、上手にご機嫌をとる欧米の男性のほうが、内心では女など眼中になく軽くみていることは事実。つまり日本男子は、ウブでシャイで、純粋なのです。ですから陳腐で子供っぽい彼をいたずらに刺激しては、それこそ逆鱗にふれ、メンツを丸つぶれにしてしまいます。なにより、頑固なメンツの裏に隠された彼ら特有の「やさしさ」を見出そうとつとめてみてください。そういえば、先のN氏も、例の夜、飲みつぶれてしまったとはいえ、ポケットには夫人へのプレゼントを恥ずかしげにしのぼせていた、と告白しました。